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宇宙服を脱いだ瞬間、人体に何が起こるかを問うと、多くの人は「瞬時に凍りつく」と答えます。SF映画が繰り返し描いてきた、氷の彫像のように固まる宇宙飛行士のイメージです。しかし実際の物理学が示す答えは、そのイメージとはかなり異なります。最初に体を蝕むのは寒さではなく、圧力の喪失です。
宇宙空間の温度が極端に低いことは事実です。地球から遠く離れた深宇宙は約マイナス270℃、絶対零度(マイナス273.15℃)まであと数度という環境です。この数字だけを見れば、「投げ出されれば瞬時に凍る」という直感は自然に思えます。
ただし、温度と「熱の伝わりやすさ」は別の話です。私たちが寒さを感じるのは、空気や水という物質が体から熱を奪うからです。冷たいプールに飛び込んだとき体温が急速に下がるのは、水が効率よく熱を運び去るためです。
宇宙空間はほぼ完全な真空、つまり熱を奪う物質がほとんど存在しない環境です。熱が逃げる経路は赤外線放射だけとなり、これは非常に非効率なプロセスです。人体ほどの大きさの物体が真空中で凍りつくには、数時間から場合によっては丸一日近くかかると見積もられています。
つまり凍死は、宇宙で生身になったときに最初に起こる事態ではありません。
1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』をはじめ、多くの宇宙SFが「真空に晒された人間」を爆発的に描いてきました。あの強烈なビジュアルが私たちの直感を形づくってきた面は否めませんが、物理的な実態はより静かで、別の意味で深刻です。
圧力を失った体に最初に起きる現象として知られているのが、「エブリズム(ebullism)」です。
水が沸騰する温度は、気圧によって変わります。高山では水が90℃台で沸くのは、気圧が低いためです。この原理を真空に当てはめると、体温37℃の体液は沸点を下回ってしまいます。加熱されていなくても、血液や唾液、組織を満たす水分がふつふつと泡立ち始めるとされています。
皮膚の下や柔らかい組織の中で水蒸気の泡が発生すると、体は膨張します。研究によれば通常の2倍近くまで膨れる可能性があるとされていますが、SF映画のように体が破裂して飛び散ることはないと考えられています。皮膚と結合組織がある程度の圧力に耐えるため、膨張は一定の範囲にとどまるとされています。
このエブリズムを実際に体験した人物の証言が残っています。1965年、NASAの宇宙服試験施設で、作業中の技術者が真空チェンバー内で宇宙服のホースが外れ、ほぼ真空の環境に晒されました。約14秒後に意識を失いましたが、15秒以内にチェンバーが再加圧されて一命をとりとめました。彼が後に語った最後の記憶は「舌の上で唾液が泡立って沸騰するのを感じた」というものでした。
真空に晒されたとき、肺への影響は即座です。減圧の瞬間、肺の中の空気は膨張しようとします。このとき息を止めると、空気の逃げ場がなくなり肺組織が内側から損傷を受けます。減圧を想定した訓練では「息を吐き出す」ことが基本とされています。
意識を保てる時間については、9秒から15秒ほどと考えられています。酸素分圧が急激に下がり、さらに血液中の酸素が肺へ逆に吸い出されていきます。酸素を失った血液が脳に届くと、意識が失われます。苦痛を感じ続ける時間さえほとんど残されないということです。
動物実験と事故の記録から理論が組み立てられているこの分野で、最も重い事例として記録されているのが1971年の旧ソ連の宇宙船ソユーズ11号です。
大気圏再突入の準備中にバルブが故障し、機内の空気が宇宙へ漏れ出しました。地球に帰還したカプセルを開けたとき、3名の宇宙飛行士はすでに亡くなっていました。宇宙服を着用していなかった彼らは、急激な減圧によって命を落としました。宇宙空間での気圧喪失によって亡くなった人類史上唯一の事例として記録されています。
この事故は現代の宇宙開発に重い教訓を残しました。現在の宇宙ステーションや船外活動では、減圧に対する複数の安全策が設けられています。
真空に晒されたとき、人体がどの程度まで耐えられるか、どこから不可逆的な損傷になるかは、現時点では明確にわかっていません。人間を対象とした実験は倫理的に行えないため、動物実験の限られたデータとわずかな事故の記録をもとに推測するしかない状況です。
「90秒以内に再加圧されれば後遺症なく回復できる可能性がある」といった見積もりも存在しますが、これを確実な数字として示せる根拠は現状ありません。体の限界値については、不確かな部分が多く残っています。
私たちの体は、地球の海面上に相当する1気圧という条件のもとで機能するよう長い時間をかけて適応してきました。その条件が崩れると、15秒足らずで意識が失われます。
火星移住や宇宙旅行が現実的な議論になっている現在、宇宙服はその外部環境から乗員を隔離するだけでなく、適切な気圧・酸素濃度・温度を維持する装置として機能しています。生身の人体がいかに特定の環境条件に依存しているかという事実は、宇宙進出の技術的な難しさを考えるうえでの基本的な前提のひとつです。
現在わかっていることをまとめると、真空への暴露では凍死より先に圧力の喪失が問題となり、体液の沸騰(エブリズム)や肺の損傷、急速な意識喪失が起こるとされています。一方で、正確な耐久限界や回復の可否については、データが限られているため確定的なことはいえません。この分野の研究は、事故事例と動物実験という制約の中で少しずつ積み上げられている段階です。
参考・情報源
本記事は、以下の公的機関・専門機関が公開する観測データや研究成果を参考に、 編集部が制作しています。最新の研究状況や一次情報については、 各機関の公式サイトもあわせてご確認ください。
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未知なる宇宙科学 ARCHIVES 編集部
NASA・ESA・JAXA・国立天文台などの公的機関が公開する観測データや研究成果をもとに、 宇宙科学のテーマをわかりやすく編集・制作しています。内容に誤りを見つけられた際は、 お問い合わせよりご指摘ください。
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