
降格された星が、9年越しに微笑んだ。
冥王星のハート:降格された星が9年越しに見せた素顔 2015年7月、人類は初めて冥王星の「顔」をはっきりと見ました。そ…

YouTube Shorts
記事本文
奇妙な色をした一滴が地面に落ちる。その滴が触れた場所から、コンクリートも鉄も土も、次々と別の物質へと変質していく。変質は波紋のように広がり、やがてビルが、街が、大陸が、そして惑星全体が同じ塊へと作り変えられていく。
これはホラー映画の設定ではありません。物理学者が真剣に計算し、議論し、「理論上は起こりうる」と認めている仮説のひとつです。その粒子の名を**ストレンジレット(strangelet)**といいます。
私たちの体も、空気も、星も、すべては原子でできています。原子の中心には原子核があり、その原子核は陽子と中性子という粒子が集まったものです。さらにその陽子・中性子を分解すると、クォークというそれ以上分割できない極小の粒子にたどり着きます。
クォークには6種類あり、専門用語では「フレーバー」と呼ばれます。アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ボトムの6種類です。このうち、私たちの世界をつくっている陽子と中性子は、アップクォークとダウンクォークという、最も軽くて安定した2種類だけでできています。
宇宙に存在するありふれた物質は、6種類のうちたった2種類のクォークだけで構成された組み合わせにすぎません。では、3番目の「ストレンジクォーク」が対等に混合に加わったらどうなるのか。この問いから、物理学史上もっとも不気味な仮説のひとつが生まれました。
1971年、物理学者アーノルド・ボディマーらが、複数のクォークが混じり合った「クォーク物質」の可能性を理論的に検討し始めます。そして1984年、エドワード・ウィッテン——のちに数学界最高の栄誉フィールズ賞を受賞する物理学者——が決定的な論文を発表しました。彼が提起したのは、**「私たちの知る普通の物質は、宇宙で最も安定した状態ではないかもしれない」**という問いでした。
ウィッテンの仮説の核心はこうです。
アップ・ダウン・ストレンジの3種類のクォークがほぼ同数で混ざり合った塊——これを「ストレンジ・クォーク物質」と呼びます——は、普通の物質よりもエネルギー的に低く、つまりより安定している可能性があるというものです。
この点が、直感に反して重大な意味を持ちます。自然界では、物体は必ずより安定した状態へと移行しようとします。坂の上にあるボールが下へ転がるように、水が高所から低所へ流れるように。もしストレンジ・クォーク物質のほうが普通の物質より安定なら、私たちの体や地球は「坂の上でたまたま静止しているボール」に過ぎないことになります。
そして、その安定した塊の小さなかけらが、ストレンジレットです。「ストレンジ」なクォークを含む「レット(小さなもの)」という意味の造語です。
通常、原子核はプラスの電気を帯びていて互いに反発し合うため、簡単には融合しません。ところがストレンジレットの一部は、理論上電気的にほぼ中性、あるいはマイナスになりうるとされています。すると電気的反発が働きません。普通の原子核に近づいたストレンジレットは、その内部へ侵入し、原子核を構成するアップ・ダウンクォークをストレンジクォークへと変換して自らに取り込む、という過程が想定されています。
取り込まれた原子はより安定なストレンジ物質の一部となり、エネルギーを放出しながらさらに大きなストレンジレットへと成長します。大きくなったストレンジレットは次の原子を、また次の原子を呑み込む。これが冒頭で描いた「触れたものを変質させる滴」の正体です。爆発でも燃焼でもなく、物質そのものの定義が接触点から連鎖的に書き換えられていく。物理学者たちはこれをSF小説で世界を凍らせる物質になぞらえ、半ば本気で「アイス・ナイン・シナリオ」と呼んでいます。
地面に落ちた一滴が止まる理由もないまま地球の中心へ食い進み、最終的に惑星全体を直径わずか数百メートルの超高密度の塊へと変えてしまう。炎も衝撃波もなく、世界が静かに別の物質へと変質していく。この終末像が不気味とされるのは、人間が感知できるいかなる警報も鳴らないからでしょう。
この仮説が純粋な思考実験にとどまらなかった理由のひとつは、人類が実際にクォークを混ぜ合わせる実験を始めたからです。
アメリカ・ブルックヘブン国立研究所の重イオン衝突型加速器RHICや、欧州のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)では、金や鉛の原子核を光速の99.99%以上まで加速し、正面衝突させています。衝突の瞬間、温度は太陽中心の数十万倍、約4兆度に達し、クォークがバラバラに溶け出した「クォーク・グルーオン・プラズマ」——ビッグバン直後の宇宙に存在したとされる状態——が一瞬だけ再現されます。
2000年、RHICの稼働を前に、世界中のメディアが「加速器がストレンジレットを生み出し、地球を呑み込むのではないか」と報じました。研究所は専門家委員会を設けて検証し、安全という結論を出しています。
その根拠は、自然界の観測事実にありました。地球には宇宙から宇宙線が絶え間なく降り注いでいて、その中にはLHCの衝突よりはるかに高いエネルギーを持つ粒子も含まれます。何十億年も存在し続けてきた地球や月は、想像を絶する回数のそうした衝突にさらされてきました。実験程度のエネルギーでストレンジレットが暴走するなら、月はとうの昔に消えているはずだ——これが安全論の核心です。
さらに理論的な観点からも、高温で生成されたストレンジレットは不安定で即座に崩壊してしまうと考えられています。安定したストレンジ物質が維持されるのは、むしろ極低温・超高密度の環境——中性子星の内部のような場所——に限られるという見方が有力です。
では、ストレンジ物質は宇宙のどこに実在しうるのか。最有力候補とされるのが中性子星です。
中性子星は、太陽の8倍以上の質量を持つ星が超新星爆発を起こした後、中心部が極限まで圧縮されてできる天体です。直径わずか20km程度に太陽以上の質量が詰め込まれ、その密度は角砂糖1個分で約10億トンにもなるとされています。
これほどの圧力下では中性子すらつぶれてクォークがむき出しになり、星の中心部が丸ごとストレンジ・クォーク物質になっている「クォーク星(ストレンジ星)」が存在するのではないか、と一部の理論家は予測してきました。
近年、観測はこの問題に少しずつ迫りつつあります。NASAの中性子星観測装置NICERは、中性子星の大きさと質量を精密に測定しています。また2017年、人類は初めて中性子星どうしの合体を重力波で捉えました(イベント名GW170817)。星の内部物質の硬さや軟らかさは、合体時の重力波の波形に痕跡を残します。内部がストレンジ・クォーク物質であれば、その証拠が波形に刻まれているかもしれない、というわけです。
さらに、中性子星合体の際にストレンジレットの破片が宇宙空間へ放出され、宇宙線に混じって地球へ届いている可能性も指摘されています。国際宇宙ステーションに搭載された宇宙線検出器AMS-02は、異常に重く電荷に対して質量が大きすぎる粒子——ストレンジレットの特徴的なシグネチャ——を探し続けています。現時点では確定的な発見には至っていません。「まだ見つかっていない」ことは「存在しない」ことの証明にはなりませんが、積極的な証拠もない、というのが正直な現状です。
ストレンジレットをめぐる議論が投げかけるのは、終末シナリオへの恐怖だけではありません。
私たちは自分の体を、机を、大地を「確固たる現実」と信じて疑いません。しかしウィッテンの仮説が正しければ、その安定は保証されたものではなく、たまたまそうなっているだけの仮の状態かもしれないことになります。物質の安定性すら、宇宙のスケールでは「絶対」とはいえないのです。
この感覚は、現代物理学が繰り返し突きつけてきたものでもあります。真空はエネルギーの最低状態とは限らないとする「真空崩壊」の概念。時間と空間が伸び縮みするという相対論的事実。確実だと思っていた足場が実は薄氷の上にあったと気づかされる——それが宇宙を深く調べる者が直面する問いの性質です。
最後に、この記事の内容を確定と未確定に分けて整理しておきます。
確認されていること
理論的な仮説・未確認の事項
ストレンジレットは、現時点では「理論的に排除されていない仮説」であり、実験的な証拠を持つ確立した理論ではありません。それでもこの仮説が物理学者に真剣に議論され続けているのは、もしそれが正しければ、物質の存在様式そのものについての理解を根底から問い直すことになるからです。
その答えはまだ出ていません。物理学者たちは今日も、最も根源的な問いのひとつを、地道に検証し続けています。
参考・情報源
本記事は、以下の公的機関・専門機関が公開する観測データや研究成果を参考に、 編集部が制作しています。最新の研究状況や一次情報については、 各機関の公式サイトもあわせてご確認ください。
※ 当サイトの内容の正確性には万全を期していますが、 科学的知見は日々更新されます。最新かつ正確な情報は、上記の一次情報源をご確認ください。 編集方針の詳細は編集方針・運営者情報をご覧ください。
未知なる宇宙科学 ARCHIVES 編集部
NASA・ESA・JAXA・国立天文台などの公的機関が公開する観測データや研究成果をもとに、 宇宙科学のテーマをわかりやすく編集・制作しています。内容に誤りを見つけられた際は、 お問い合わせよりご指摘ください。
Related
おすすめの宇宙観測YouTube Channel
この記事が役に立ったなら、チャンネル登録を
新着ショート動画をいち早くお届けします。